「小川の辺 おがわのほとり」をみました。

今回ご紹介する、「小川の辺 おがわのほとり」は、
江戸時代の武士という、現代でいうところの
地方公務員の物語です。

封建時代特有の、お上に対する罪とか、
(「首切り」の単語に代表されるように、)
案外簡単に本当の首が飛んでしまう時代背景の理解が
あれば、すーっと受け入れられる話だと思います。


現代風に直すとするならば、
例えば、

ある役所で、なにかしらの公務員法違反を犯し、
警察に逮捕され、役所をクビになった。
ちょっと不幸だったのは、義理の弟を捕まえる事に
なった警察に勤める兄で、母や父は、犯罪者の
妻と成った妹の行く末を心配した。

・・とこんな具合でしょう。
※現代警察は、義理の弟は捕まえないでしょうが。


さらに、
刀をピストルに、外国を舞台にすれば、
ハリウッド映画でもいけそうなストーリです。(笑)

いずれにせよ、
普通の家族が、お互いを心配したり、潔さとか、純愛とか、
・・・そういったことを基本にした「時代劇」です。


前評判が高い映画でしたので、あまり期待しすぎた
せいでしょうか。
まぁ〜、これまでのいわゆる”ヒマな”日本映画と
同じだなぁ〜。と思いながら途中まで見ました。

家の中のシーンは、
祖母の古い家を思い出し懐かしかったのですが、
門構えや家の前の道をみると、
「ん」これは、違う。

と感じました。
立派なお屋敷ですが、おそらく武家屋敷(設定では
家老の家から徒歩圏内の城下町の筈)ではありません。

いわゆる庄屋さんかもしくは、地方の村役人の家です。

上京するシーンは、もの凄い奇麗だ。
と前評判も更に高いのですが、
思いっきり登山道のような山道です。
江戸に出るなら、街道道を通る筈なので、
この時代は相当整備されていた筈です。

きれいな景色を狙ったのかもしれませんが、
一方日本では、時代劇が撮影出来る場所が無いのでは?
と思いました。

大画面の奇麗な映像に対して、リアル感の無さが亡く
なってくると、嘘っぽくなります。
映画の難しいところだと思います。


この嘘っぽさが一転したのは、クライマックスである
東山紀之さんと片山愛之助の殺陣(チャンバラ)シーン
でした。これは本物だと思いました。

思えば、このチャンバラシーンからがドラマの本編で、
それまでは長い伏線だった訳です。

そして、このエンディングです。

どのような、どんでん返しやハッピーエンド・・が起きるのか
想像し期待して見ていたのですが、
東山演ずる、戌井朔之助は、普通に義理の弟を切りました。

きっと、
この潔さこそが、「時代劇」の本質では無いかと
思いました。
(「水戸黄門」でも、悪い人は普通に切腹と言われますし。)
現代人や、現代のドラマが失った何かだと感じます。


追伸)
私にも妹がおりますが、子供の頃は、この映画のように、
時に分別が付かない程凶暴でありましたが、大人に成って
からは仲良くしているので、良かったと思いました。
兄弟仲良く。も、この映画が主張している重要な点です。


参考URL
ogawa-no-hotori.com