宮崎駿監督作品「風立ちぬ」をみて、宮崎アニメにして初めて泣いてしまいました。(前編)

映画の話を書くときは、
いつも予告編のことを書くのですが、

本日ご紹介する映画は、
予告編に関して、
もの凄い力の入れようでした。

公開の一月ぐらい前からでしょうか。

私の通っている映画館では、
全ての映画の上映前に、
4分程の長い予告編が流れるのです。

これまでの宮崎アニメとは一線を画す
映画であることは直ぐにわかりました。

そして、
崖の上のポニョ」で(も)引退を口にした
宮崎監督が放つ新作です。
それはそれは注目すぎる訳です。

期待して見に行ったが子供が退屈そうだった。
そんな悪い話しも、イヤでも耳に入って来ます。


早くみたいと思う反面、
観るのも怖い気持が募ります。

複雑な気持ちを抑えつつ映画館に足を運びました。

という訳で本日は宮崎駿監督作品

 「風立ちぬ

をご紹介します。

宮崎監督の前作「崖の上のポニョ」の売り上げが、
氏として最高に成らなかったのが悔しくて、
もう一本作ろう。
・・みたいな芸能的噂話は知っていましたが、

このような映画が生まれるとは、
全く予想していませんでした。

映画「風立ちぬ」は、
かつての「ナウシカ」のように、
雑誌(モデルグラフィックス)に
2009年4月号から2010年1月号まで
連載されたものを映画化したのだそうです。

映画化にあたり、
鈴木敏夫さんから口説かれたらしいのですが、
鈴木敏夫さんによると
宮崎駿夫さんは(鈴木さんの話しでは)大概の事は
OKといって聞くけれど今回に限っては、

アニメは子供のもの。
風立ちぬ」は大人の物語。
・・と大反対だったそうです。

宮崎駿さんとスタジオジブリのアニメ制作に関して、
何度かドキュメンタリー番組を観たことがあります。

それはそれは大変な行程です。

前回の「ポニョ」のドキュメンタリーでは、
一番柔らかい芯の鉛筆でも、腕の力が無くて絵が描けないと、
宮崎駿さんは年齢的(体力的)な限界を訴えておりました。

御年72歳の宮崎駿さんが、
どんな気持で、このアニメを製作することにしたのか。
その気持はわかりませんが、

一つ云えることは、
今回は原作が既にあるので、
「ポニョ」などの新作に比べると、
宮崎駿さんの負担も軽かったのではないかということです。


ただジブリを支える鈴木敏夫さんにしては、
子供向けから、大人向けへの大転換です。

自ら説得したとはいえ、どんな心境だったのでしょう。

4分もの長い予告編を重ねて放映する力の入れようは、
ターゲットと成る年齢がこれまでと違うことを
世の中に周知するためだったと思います。

興行的にも、
ジブリの評価も、

成功するかどうか全く分からない。
そんな不安があったと思います。

さて、
映画は第二次世界大戦の傑作戦闘機
零戦を開発した堀越二郎という
実在の人物を描きました。

映画の前半では子供時代の堀越少年が、
飛行機を夢見て大学に入るまでを描きます。

私がこの映画を観るにあたり、
複雑な気持ちだった理由の一つは、
零戦とか堀越二郎氏の知識がある程度
(というか、かなり)あったことです。

平たく言うと、
宮崎駿さんほどではないですが大好きな訳です。

宮崎駿さんもどこかで、
似たような事を述べているのですが、

戦争は人を殺す。もちろん良いはずがない。

・・と思いつつも、殺人兵器である戦闘機は大好き。
(軍艦も戦車も同じような感じですが)
そんな矛盾を子供の頃から感じていました。

そんな私たち飛行機好きの心の中にある矛盾を、
ゼロ戦の設計者である堀越二郎氏を通じ表現します。

映画で絵かがれる彼も、
殺人のための兵器を作りたいわけではなく、
純粋な飛行機好き、純粋な技術者、純粋な職人・・・
なのです。

実際この映画に映し出される戦闘シーンは、
ほんの一瞬しかありません。
堀越二郎氏の友人である、本庄季郎氏が設計した
九六式陸上攻撃機が、中国と思われる、に爆撃に行き、
墜落するシーンなど)

あくまで主人公はその時代に生きた、
人間というか、日本人です。


さて映画では、
冒頭、蚊帳の中で寝ているシーンがあり、
堀越少年の夢の中で飛行機の中で飛んでいるのですが、

蚊帳を観て、
これは最近の人は分からないのでは?
と思いました。

なぜ蚊帳?

世間では夏休みですが、
私の子供の頃は、
夏休みにおばあちゃんの家に行きますと、
夜は蚊帳を釣り、従兄弟がそろって寝たものです。
家の中で貼るテント(のようなもの)は、
それはそれは楽しい思い出ですが、
今時、蚊帳は分からないでしょう。

夏でなくても良いし、
普通にうたた寝でも良いだろうこの構図は、
夏でなくてはいけない、蚊帳でなくてはいけない。
そんな意図を感じます。

つまり日本の夏といえば、ひとつは終戦であり、
蚊帳といえば、在る一定の年代の大人を指します。

今時の若い親は、子供に蚊帳を説明出来ません。
つまり、蚊帳を知っている世代向けの映画
だということなのです。

この後学生となった堀越青年が、
汽車で東京へ向かう途中に、
関東大震災のシーンがあり、
後のお嫁さんとなる、里見 菜穂子と出会います。

このあたりは、4分の予告編で描かれますので予想通りです。
震災の様子が短く、しかも上手く描かれていますが、
二人の出会いは割とあっさりと終わってしまった
感がありました。

そのあとで、
再び堀越二郎氏を中心に映画は進むのです。

鯖の骨をみて、飛行機の翼の断面を研究する
学生時代の様子を描き、

医学部に入りたいので親を説得して欲しいと、
妹が上京してきます。

映画では後の伏線となるのですが、

実際に堀越二郎氏が大学に入るときに、
医学部に入るなら学費をだしてやる。
と暗に飛行機の道を反対された事を思い出しました。

この時代、秀才と呼ばれる人が進むべき道は医学部で、
飛行機の道に進むのは相当な変わり者だったようです。

宮崎駿さんにとっても、
これは基本中の基礎知識で、
兄弟が医学部を目指すというのは、
そうゆうことだと思いました。

ただ、昔読んだ堀越二郎氏の本には、
大学進学の話しはありましたが、
子供の頃の話しは記憶にありません。

冒頭の飛行機好きの子供は、
宮崎駿さんをご自信を表現したのでは
無いかとおもいました。

そして、
妹が東京にきて、

東京はこんなに復興したのね。

というセリフがあります。
限られた映画の時間の中で、
わざわざ表現の難しい震災シーンを入れ、
そして復興後、妹を上京させこのセリフをいわせたのは、

もちろん、
東北地方を始めとする自然災害で
苦労している人達へむけた励ましの言葉なのです。

日本はこれまでも幾度も震災にあい、
復興してきた。だから大丈夫。

そんなメッセージに思えました。


堀越二郎は大学を卒業して、
名古屋にある現在の三菱重工に入社します。

会社に向かう列車からは、
職を探しに地方からやってくる人が溢れ、
名古屋の街中では銀行の取り付け騒ぎを観ます。

これらのシーンは一瞬で過ぎ去り、
そのあと、厳しいながらも心優しく見守る上司や
大学の同期の友人(本庄季郎)とともに仕事に励みます。

仕事で二人はドイツのユンカース社に、
巨人機(ユンカース G.38と思われる)の視察に、
選抜されます。

後に三菱がこの巨人機をライセンス生産することに
なるのですが、こんな飛行機があったのか。

と映画を観た後Wikiで調べたのですが、
ユンカース社で2機作られ、ルフトハンザ航空で
ベルリンーロンドン便などに就航していたそうです。
G.38はB29よりも大きく、当時世界でもっとも大きな
飛行機だったようです。

ちなみに、三菱ではユンカースよりも多い、
6機も製造しています。

速度が遅いことなどが、決定的に時代遅れとなり
実際は殆ど使われなかったようです。
余談でした。


この前後に、
親の帰りを待つ子供にシベリア(お菓子)をあげようとして
断られたことを、堀越が本荘に話すシーンがあります。

当時の日本は貧しいという話しなのですが、
このとき三菱がユンカースに支払うライセンス代で、
日本中の子供たちに、シベリアを配れる(?)

そんな貧しい国が、飛行機を持ちたがる。
みたいセリフを本荘に言わせます。

戦後日本に来た外国人が、日本は何も無い国だ。
といって驚いたそうですが、

開戦当時、アメリカと並び、
世界で唯一空母機動部隊を持っていた国が当時の日本であり、
それは貧しい日常の暮らしが、支えていたのでした。

ドイツに行けば、
街中から蓄音機の音が流れてくるのですが、
蓄音機と、兄弟を背負う貧しい子供の姿を対比しています。


そして極めつけが、
飛行機を工場から運ぶのに、牛つまり牛車を使う事です。

知っている人にとっては有名な話しですが、
日本では時速500キロの戦闘機を、
牛が滑走路や港まで運ぶのです。

当時は道路が悪く、
馬に比べて暴れず耐久性のある牛が選ばれたそうです。
(確かに牛車も水牛も力仕事をする動物は牛ですが。。)
これは爆撃機などの大きな機体も同様だったそうで、

ユンカースに視察に行った際に、
ここには牛は居ないね。(堀越)
直ぐ横に滑走路がある。(本荘)

というセリフを語らせます。

物流も含め生産をトータルで考える発想の欠如や、
与えられた物の中で考える、日本の思考回路の欠如のようなものを、
映画の限られた隙間時間を使って描いています。


おそらく、この映画の時間は、
宮崎駿さんの残された時間と同じ位の価値があり、
つまり、この何気ないシーンに宮崎駿さんの言いたかったこと。
つまり後の人間に伝えたかったことがあるのではないかと思うのです。

それはつまり、戦闘機を牛が運搬するような、

日本人は、
後から考えれば、お笑いにしか思えないような
へんなことを平気でやってしまう。

という、歴史への猛烈な反省なのです。

そして、この先映画は、
再度堀越二郎の飛行機作りの話しに戻ります。

九試単座戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)の開発の様子
や途中事故で墜落し、
失意の中軽井沢のホテル(万平ホテル?)で
再び里見 菜穂子と出会い、そして恋に落ちます。

実際に、堀越二郎氏の著書である
零戦 その誕生と栄光の記録」

を読みますと
(私が読んだのはかれこれ20年ほど前ですので
記憶は怪しいですが・・)
当時の日本の航空技術がいかに後れており、
追いつくためにどれだけ頑張っていたかが語られます。

驚くのは、「零戦」の「九六式艦上戦闘機」でようやく、
世界に並ぶ戦闘機ができたことで、
その前の戦闘機になると、羽が上下に並び複葉機で、
木材や布で作られるという時代になるのです。

零戦の本の割りには、
九六式艦上戦闘機」に至るまでの苦労や、
海軍の三菱、陸軍の中島(現在のスバルなど)で、
三菱は当時中島に入札で負け続いており、

会社が傾く寸前だったという話しが書かれた
ように記憶しています。

映画ではそういったところの描写はありませんが、
つまり大学卒業後5年の若者を、
社運のかかった戦闘機の試作機のチーフに
任命するというのは、

東大を主席で卒業した堀越二郎氏に、
会社がどれぐらい期待をしていたかが分かるのです。

この頃、
上司と空母に視察に生き、エンジンが調子悪く、
顔中オイルまみれになるシーンがあります。

国産のエンジンなどこんなもん。(この程度の悪いレベル)
と上司が言い、

一見お笑いのシーンにも思えるのですが、
実は、当時の三菱のエンジンは性能が悪く、
ゼロ戦ではライバルの中島製のエンジンが積まれます。

例えば自動車メーカーで
自社で良いハイブリットエンジンが無い。
といってプリウスのエンジンを買ってきて車を作る
メーカーはありませんが、
そうゆうことを、「零戦」の開発で、
堀越二郎氏はやってのけたのです。

そういったエピソードはこの映画では全く出てこなくて、
ストーリー的には、
前半は「九六式艦上戦闘機」を作る話で、
後半が「堀越二郎と里見 菜穂子」の物語です。

零戦」を作った男の物語的な、広告になっていますが、
宮崎駿さんが言いたかったのは「零戦」の開発秘話ではなく、

むしろ、当時の日本の苦しい・厳しい状況だったと感じます。

ちょっと長くなってきましたので、
今回は前半・後半に分けようと思います。
(つづく)


映画『風立ちぬ』公式サイト


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