福山雅治主演「そして父になる」を観ました。予想に反して泣けませんでした。

先日法事があり、親戚が集まりました。

年上の従兄弟などはいい歳ですので、
もう成人した子供がおります。

従兄弟同士さほど似ているわけでは
有りませんが、

私の妹とよく似た従兄弟がおりまして、
その子供が私とよく似ているのです。

従兄弟の子供ぐらいに成ると、
色々な人の血が混じってくる訳ですが、

妹と似た女の従兄弟の子供(男)が、
私と似ているという偶然は
面白いと思いました。

そして親戚同士、
似ていると言われて、
悪い感じはしないものです。


・・という訳で本日は、福山雅治さん主演映画

そして父になる

をご紹介します。

ココでも何度か書いていますが、
私は福山雅治さんと同年生まれでして、
あまりにもカッコ良く悔しいですが、大好きです。

この相変わらずカッコ良い福山雅治さんが、
映画では6歳の子供の父を演じます。

福山雅治さんは44歳なので、
6歳の子供がいること自体に不思議はありませんが、
ついに父親役もするようになったんだ。
・・と感じ入るものがあります。

そして奥さん役の尾野真智子さんは31歳です。
13歳も年下の奥さんをもらえるとは凄い。
・・などと余計な事も感じてしまうのですが、
映画を観る限り全く違和感を感じません。

やはりイケメンは凄いです。!


ストーリーは色々なところで紹介されています
ので割愛しますが、
小学校入学を控え、子供の取り違えが発覚した
約1年間を物語にしています。

子供の取り違えは昔はよくあった事のようです。

それは僕らが生まれた頃の事ではないのか?
福山雅治さんのセリフがあるのですが、
(僕らというのは、私の時代でもあるわけで、)
私もなんとなく知っています。

そして映画をみながら、
このセリフを聞いたときには、
不幸な事故が再発してしまったのだと思いましたが、
それは伏線でした。

これから映画を観る人もいるかと思いますので、
詳細は書きませんが、エリートサラリーマン演じる
福山雅治さんを妬み、仕組まれた罠だったのです。


映画では福山雅治さんは、
大手建設会社に勤務しています。
詳しい説明はなかったと思いますが課長クラスのようです。

ヘリポートがあるような都心の高給マンションに住み、
車はトヨタの高級車レクサス460に乗っています。
しかも、
入り口の前の平置き(機械式駐車場ではありません)です。

マンション価格は分かりませんが、
車の価格を調べたら1,000万前後のようです。
(社用車に使われそうな感じの車で、
40代サラリーマンでは無いと思いました。)

奥さん役の尾野真智子さんは、
群馬出身で福山雅治さんとは社内結婚です。
おそらく今は滅多に無い一般職(事務職)だと思います。
寿退社をして現在は専業主婦をしています。

ゼネコンのエリートは確かに給料は良いと思いますが、
とはいっても、日本のサラリーマンなので、
あんな暮らしが出来るとはちょっと考えにくい気もします。

一方、取り違え相手のリリー・フランキーさんは、
地方(群馬)で電気店をしています。
パパママストアですが、殆ど売り上げは無さそうで、
奥さんの真木よう子さんが弁当屋さんでパートをし、
生計を立てているように見えます。
車はくたびれた、仕事用のスズキの軽のワンボックスです。

そして弁当屋さんでパートを演じる真木よう子さんは、
メチャクチャ板に付いているのですが不思議です。
というかその演技力に感心します。

これまでは、都会の仕事の出来る女系の役が多かった
ような気もするのですが・・・。

ちなみに私は地方から横浜に出てきてサラリーマンを
していますが、映画で表現される福山雅治さんの生活は
全くイメージできず、
リリー・フランキーさん役の生活は良くイメージできます。(笑)

そしてリリー・フランキーさんの演技があり得ない位良くて、
子供と一緒にお風呂に入って、
お風呂の水をピューッと子供にかけていたずらする姿など
最高に印象的でした。

この演技は地か!と思うのですが、
リリー・フランキーさんのようなおじさんは、
田舎では本当にいそうなのです。

(どうでも良い話しですが、)
今ネットでリリーフランキーさんの歳を調べ、
49歳と知って、お若いので驚きました。
福山雅治さん(というか私)とたいして歳が変わらない
ではないですか。!

映画でも歳を取ってから子供は辛いとか、
福山さんより一回り上みたいなセリフがあったのですがね。
実際のリリーフランキーさんはお若いのです。

さらにここでも、
リリーフランキーさん49歳と真木よう子さん30歳の
組み合わせは、なんでだろう。と思いました。
二人の馴れ初めは、映画ではありませんでしたが、
興味深いです。(笑)


映画の見所の一つは、
演出とはいえ、この二組の夫婦のもの凄い対比です。

取り違えの発覚にあたって、
問題の原因を知ろうとする福山雅治さんと、
慰謝料の金額が気になるリリーフランキーさん。

こういったところにも対比の構図が表現されます。
父親の知性や学歴のような違いを表現しているわけです。

福山雅治さんは小さい頃から私立の進学校に通い、
ピアノを習い、負けずぎらずのまま大人になって、
エリート街道まっしぐらです。

実際の子供の取り違えのケースでは、
100%子供を取り替える(血の繋がっている子供にする)
そうなのですが、そこに至る困難を映画では描きます。

問題の解決にあたり、

尾野真智子さんの母役の樹木希林さんは、
昔は養子や里子はたくさんあったのよ。
と暗に血縁よりも育ての親が大事といわせ、

福山雅治さんの父親役の夏八木勲さんは、
その子供はどんどんおまえに似てくるぞ。
と暗に血のつながりが大事といわせます。

一方、福山雅治さんの会社の上司は、
いっそ2人引き取って育てたら?

・・といい、
ある日、福山雅治さんは、リリー・フランキーさんに、
お金は用意できるので、2人とも引き取りたいと、
つい言ってしまうのでした。

金で買えるものと、買えないものがある。
あれほどお金を気にしていた、
リリー・フランキーさんから当たり前ともいえる
叱責を受けます。

このシーンも後で思えば映画の大切な伏線でした。

映画では最終的に子供を取り替えるため、
二組の家族が仲良く接して、
週末だけ子供を交換するなど、
将来の交代に慣らしていく様子が描かれます。

経済的には恵まれているが、
仕事一筋の福山雅治さんにに対して、
経済的には多少の不自由はあるが、
常に子供と接する時間があるリリー・フランキーさん
との対比でもあります。

そしてある日、リリー・フランキーさんに、
父親も大切な仕事であることや、
子供は接している時間の長さが大切であること。

すでに福山雅治さんが子供と接した時間よりも、
リリー・フランキーさんが(福山さんが育てた)
子供と接した時間が長い。と言われます。

お風呂も子供1人ではいるんだろ。
リリー・フランキーさんに言われ、
何でも1人でできるのが方針ですから。
福山雅治さんは答えるのですが、

このシーンを観ながら、
私は父親と一緒にお風呂に入ったことを思い出しました。
お風呂一つにとっても様々な作法があるのですが、
こういった事の多くは親から教わります。

福山雅治さんは、
実の子が家に来てから子供に箸の使い方を
教えるシーンがあるのですが、
本当はもっと早くからすべきだったのです。

子供と接する時間が少なく、
血のつながり以外の縁が感じられない父親だった
福山雅治さんは、
最初から血のつながりを大切にする。
・・と奥さん役の尾野真智子さんに責められます。

事故が発覚したとき、
彼女が最も傷ついたのは、
「なんで母親なのに気付かなかったんだ」
というセリフではなく、

「やっぱりそうだったのか」
という福山雅治さんのセリフでした。

母親にとっては、血のつながりよりも、
6年間接し育てた情が大切なのです。


映画では2人の子供の葛藤というか、
大人以上にもつ子供たちのストレスも表現されます。

そして福山雅治さんの実の子供は、
学校で両親の画を描くときに、
リリー・フランキーさんの育ての親の画を描き、
しまいには一人電車に乗って群馬の家に戻ります。

この出来事をきっかけに、
福山雅治さんは子供と接する時間を持とうと努力します。

そんな中で、デジカメの中に残っていた、
育ての子供が撮影した自分(福山さん)の写真を観て、
彼が感じていたであろう、
父親としての自分への愛情に涙し、

もう二度と会わないと誓った約束を破り、
群馬まで育ての子供に会いに行ってしまいます。


そして予告にある有名なセリフ、
「6年間はパパだったんだよ。
できそこないだけどパパだったんだよ」。

という、予告編でも有名なセリフがあり、
映画はエンディングに向かいます。

古ぼけた町の電気屋さん(ちなみに東芝系のようでした)
の前にレクサス460が止まる姿が最後の構図で、
二組の家族が電気屋さんの自宅に入っていく様子で
映画は終わりです。

このあと、
それぞれの家族がどうなったかは描かれていません。

なんとなく、
リリー家が子供二人を育てるような
雰囲気も感じるエンディングでした。


映画を観た今日は、
体育の日連休の最終日のレイトショーなので、
殆ど人もいないだろうと思ったのですが、

何かの割引の日らしく、
一番大きな劇場で結構人が入っていました。

エンディングの頃になると、
辺りではすすり泣くような音が聞こえて来ます。

きっとこの映画は感動する映画に違いない。
と予想して私もハンカチを持参したのですが、
不思議と泣けませんでした。

映画のホームページではカンヌ国際映画祭で、
ニコール・キッドマンが映画の後半1時間泣いた。
などと紹介されています。

泣けない理由は良く分からないのですが、
一つは福山雅治さん役の微妙にリアリティーのない
お金持ち具合と、ちょっとイヤな奴。っぽい演出
のような気もしましたが、正直定かではありません。

心に残る演出は群馬の様子が
生々しく表現されていることです。

寂れた商店街と電気屋さん、
イオンで家族どうしが合う様子、
樹木希林さんが住む尾野真智子さんの実家も
良い寂れ具合ですし、
毎朝仏壇にご飯をあげるなど、
今時私の実家でもしていませんが実にリアルです。


一方都会のマンション暮らしは、
簡単で分かり易いのですが、

カンヌ映画祭の人達が、
この複雑な日本の違いをどのように観たのか
と思うと少し疑問も感じます。
田舎のリアリティーはもっとざっくり省いても
良かったのでは無いかとも感じます。


色々書きましたが、
子供に対して、橋の下から拾ってきた。
といった言い方や、
親はなくても子は育つなど、
樹木希林さんのセリフのように、
少し前は育ての親と生みの親が違うのはさほど
珍しくない時代もありました。

いっぽう、私など親との血縁を疑ったことも
ありませんが、

映画の子供のように、ある日突然違う家族に
放り込まれたら自分は生きていけるのだろうか。
・・と思います。

尾野真智子さんのセリフで、
だんだんと生みの子供に愛情を感じて、
育ての子供を裏切るようで辛い。

というシーンなども心に残りますが、
結局この映画では、
家族と言うよりも、
人(命)を選ぶこと辛さが表現されて
いるようにも感じます。

そして、人(命)を選ぶ事の辛さの中に、
経済力vs子供との時間や家族の和というものが
絡んできます。

映画の最後のほうで二組の家族が記念写真
を取るシーン(映画のポスター画像)が
あるのですが、
福山雅治さんのカメラは、キャノンの
高そうなフルサイズの一眼レフデジカメで、
リリー・フランキーさんのカメラは
普通のコンパクトデジカメです。

この経済差の表現は、
観ていてちょっと辛い気がしました。


本当はタイトル「そして父になる」のように、
福山雅治さんが父として自覚し成長する
様子を表した映画なのかも知れませんが、

思うところや感じることが多すぎて、
逆に泣けなかったのかもしれません。
(決して期待はずれという意味では無く、
期待通りだったのですが。)
そんなことを感じた今日の一本でした。


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