江川達也著「桶狭間合戦の真実」を読みました。

桶狭間の合戦」と言えば、
(私が解説するまでもないのですが、)

織田信長が、自軍の何倍もの兵力※のある
今川義元を破り、その後の躍進の土台となった
重要な戦として知られています。

※本書によると、織田軍2千以下、今川軍4万5千
 Wikiによると、織田軍2千程度、今川軍2万5千
 いずれにせよ、10倍以上の兵力差がある。


この戦は、1560年6月12日、現在の愛知県豊明市
行われました。

尾張(現名古屋)の戦国大名である織田信長は、
隣国、駿河(現静岡)の戦国大名である、
今川義元と対峙しているのですが、
今川氏の精力は膨大、今まさに尾張の国を制圧しようと
進軍してきました。

そのときの様子を、時代劇などでは、

「人間五十年、・・・夢幻のごとくなり。(敦盛の舞)※」

織田信長が舞い、急遽出陣します。

敦盛の舞に関しては、
人の命は五十年位しかなく(当時の平均寿命ぐらい)、
いろんな事があったが、夢幻のようだった。

程度に思っていたのですが、
今回ブログを書くにあたり、改めて調べてみると、

※ 此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。
 「人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。」
  一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、
  と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、
  たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて卸出陣なさる。-『信長公記


本当の解釈は、少し違っていて、

(人間=人の世という意味で、)人の世は、平均50年ぐらいだが、
(仏教でいう)天人(寿命は800歳)の命の長さと比べれば、
ほんの少しの時間である。

一度生まれたら、死なない人はいない。

<この先、私流の補足>
つまり、今死のうと、50年の寿命を全うしようと、
天人からの視点では、ほんの一瞬の違いでしかない。

・・ということは、命を惜しんで長生きしても、
今戦でぱっと死んでも、(天人視点では、)
たいした違いはない。

(だから、命を惜しまず戦で名を上げ、
末代まで名誉を残そうではないか。)

という歌になりそうです。


さて、本書は漫画家「江川達也」氏
(個人的には、「東京大学物語」が有名かな?)


が、
歴史資料としても価値のある「信長公記重要文化財)」
をもとに、自らが現地に足を運び、調べた結果を漫画化したものです。

本文で江川氏が自ら、歴史にもっとも忠実に「桶狭間の合戦」
を再現していると述べています。


私が昔得た記憶によると、
どのような大軍でも、一本道を通る際には、細長くなるため、
行進の行列の真横から攻め込めば、軍の数はさして問題ではない。

といったもので、イメージでは、

桶狭間」という窪地に休息している今川義元本陣を、
崖の上から、予想外に馬に乗って駆け下りた織田群が
今川義元の急襲した構図です。

しかし本書によると、「桶狭間の戦い」の勝利は、
織田信長が、誰にも気づかれないように、戦いに有利となる
場所(桶狭間地帯の一本道)を選び、作戦を立て、
淡々と準備した結果なのだと言います。

田んぼが両脇に広がる一本道では、
戦いと成ったときに、今川軍が横展開し大勢で攻め込むことが
できません。
(ちなみに桶狭間とは、桶に入れた泥に足を突っ込んだ位
深い泥の田んぼのことを指すそうです。)

さらに、今川軍がこの一本道を進軍するような戦局となるように、
前哨戦(本戦の前に小競り合い)を仕向けます。

想定通り一本道を進んできた今川軍と織田群は、
狭い道で少数対少数で戦うことになりました。

駿河から遠征し、連日の戦で疲れた今川軍と、
昨日まで普通に生活をして(戦疲れしていない)新手
を動員した織田群との違いや、
戦の恩賞の証拠品となる敵の武将の首や武具を、
取らない方針とする(武士が敵の首を取っている間に
織田群に攻められる)などの作戦により、

織田群は、一本道を正面から切り崩し、
今川義元本陣に攻め込んでいったのでした。

つまり一般常識の急襲(奇襲)では無いというわけです。


このような桶狭間の合戦の戦い方は、
少人数の側が、大人数と戦うときの基本戦略のようなもので、
狭い戦場に持ち込み、敵を少数にし接近戦に、持ち込むことで、
数による優劣をなくすという、
今時のビジネス用語でもある「ランチェスター戦略の弱者戦略」
そのものです。

1914年に発表されたこのランチェスター戦略を織田信長は、
知るはずもありませんが、
これがつまり織田信長織田信長たるゆえん、
真価と思います。

彼はどこでこんな事を思いついたのでしょうか?


桶狭間の戦いが奇襲作戦である間違った認識は、

明治時代に海外から取り込まれた”奇襲”の考え方を、
当時の旧日本陸軍が、桶狭間の合戦は奇襲作戦であると、
誤った解釈を展開し、

それを決定的に広めたのは、
山本五十六真珠湾攻撃での歳の一言、
桶狭間鵯越川中島をあわせてやるようなもの。」
に結びつくわけです。

大国との戦争を短期決戦で勝利を望む日本国民への説明のため、
桶狭間の戦いは奇襲作戦による勝利だったと流布することは、
おおいに都合良い話だった。ということなのだと思います。


このように本書は、とても意味のある内容と思いますが、
唯一の問題は、江川達也さんの劇画と思います。

江川さんの画が受け付けられるか?そこが課題であり大問題と思います。
(加えてもうひとつ、何故か前田利家が女性として表現されている点です。)

100%真面目では本書が商品にならない。
という気もしないでは無いですが、
この点は好き嫌いや意見が大いに分かれる点と思います。
内容はとても良いけど、絵的に微妙な一冊と思いました。



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