岩下哲典著「江戸将軍が見た地球」を読むと、江戸時代も難しい外交問題に遭遇していたことが解ります。

私にとって、
社会科の授業は、
数少ない得意科目の一つでした。

なかでも日本史です。

はっきり言って、
テレビの時代劇の影響と思います。

水戸黄門」や「東山の金さん」

はもちろん大好きですが、

織田信長坂本龍馬の名前を覚え、
毎週欠かさず、
NHK大河ドラマを見るようになります。

そうなると、
日本史の興味はますます沸いてきます。

しかし困ったことに、
日本史好きとは言っても、
戦国時代と幕末の2つの時代に
興味は集中してしまいます。
(おそらく殆どの人がそうでしょう。)

それに反して日本史の授業は、
縄文土器から最近の総理大臣の名前まで、
数千年に及ぶわけで、
戦国時代と幕末はそのごく一部に過ぎません。

戦国時代と幕末という、
この二つの歴史に興味が有る人でも、
日本史の授業となると、
拷問です。

例えば、

日米和親条約と日米通商条約
さて、どっちが先?

徳川家光徳川綱吉徳川吉宗徳川慶喜
さて、暴れん坊将軍はだれ?

・・みたいな話が、
永遠と続く訳ですからね。

・・と
そんな訳で、本日は岩下哲典さん著

「江戸将軍が見た地球」

をご紹介します。

江戸時代と云いますと、

日本は鎖国をしており、
海外との交流は全く無かったかのように
思われがちです。

しかし本書では、
江戸時代とはいえ、

海外からの情報ルートは確保しており、
そのトップである徳川将軍家には、
世界の情報や珍しい物が集まっていた。

その海外情報を参考に、
徳川の政治が行われていた事が
紹介されている内容です。


徳川家康江戸幕府を開くこと約60年前の、
戦国時代(1543年頃)に、
種子島に漂流したポルトガル人によって
鉄砲が伝来したと云われています。

つまり当時のヨーロッパ諸国では、
既に大洋航海術をもち、
地球の反対側である日本近海まで
船を走らせていたことがわかります。

長篠の戦い(1575年)では、
その鉄砲を最大限に利用し、
武田軍に勝利したのが織田信長ですが、
彼は宣教師達と交流をもち、
キリスト教を保護しています。

しかし、
その後の豊臣政権の時代になると、
国内で増えてきたキリスト教の対応に
苦慮することになり、禁教令を出します。

ここから先の時代が、本書の内容ですが、

徳川家康の時代になると、
東京駅八重洲口の八重洲で有名な、
ヤン・ヨーステンや、
三浦半島に領地を得た、三浦按針など、
漂流船の西洋人を顧問として西洋の
知識を得て貿易を計ろうとしました。

特にこの二人の西洋人は、
徳川家康の側近として徴用されます。

貿易面では、朱印船貿易という、
一部の豪商や大名等に朱印状という
許可を与えることで、主にタイやベトナム
といった東南アジアとの貿易が盛んになり、
現地では日本人町ができる位です。

その後、2代将軍徳川秀忠の時代になると、
海外のカソリックプロテスタントの争いに
朱印船日本人町の日本人が巻き込まれたり、

国内のキリスト教の統制などから、
次第に海外との交流を閉じていきます。

そして、三代将軍徳川家光の時代になると、
海外渡航、帰国の禁止、
ポルトガル貿易禁止、
を打ち出し、
キリスト教の布教に興味を示さなかった、
オランダと中国が出島を通じで細々と貿易を
行うことになります。

これが、前半の歴史です。

中盤の山場は、暴れん坊将軍こと徳川吉宗が、
一部の洋書を解禁したり、有能な武士を
徴用する制度をつくることで(足高の制)
有能な武士が西洋の学問(蘭学)を学ぶ
基礎を作ったことです。

徳川吉宗は、享保の改革とよばれる政治改革
を行い、幕府に再び活力を付けることに
成功しましたが、
西洋の学問が広まることで、
幕末の討幕運動の力になったことも事実です。

そして歴史好きの方が大好きな、
幕末の時代に突入します。

この時代の内容は割愛しますが、

私が本書を読んで、ポイントと思ったのは、
それまで日本は、オランダと中国の二カ国で
交易を行っていたにもかかわらず、

そのオランダ、中国を差し置いて、
アメリカを最恵国待遇として、
日米和親条約1854年)を結び、
下田、函館を開港してしまうことです。

一般的なイメージとしては、
黒船外交で日本が負けて不平等条約を結んだように
思われがちですが、この条約は不平等では無かったと、
NHKのテレビ番組で見ました。

「泰平の眠りをさます蒸気船、たった四はいで夜も眠れず」
ということがありますが、

当時の文章は、「ねむり」ではなく「ねむけ」
となっていることで、明治時代に書き換えられた
ということなのですが、かなりイメージが違っています。

これは、現代いわれる「平和ボケ」と同じ意味です。


そのあと、関税や領事裁判権などの課題をもつ、
日米通商条約(1858年)が結ばれます。

日本がなぜこのような条約を結んだかというと、
アメリカ軍による威圧(艦砲外交とよばれる)や、
ハリスの強行交渉などと云われますが、

実際は、第二次アヘン戦争で勝利した、
イギリスとフランスの連合軍が日本に攻めてくる。

今条約を結んでおけば、アメリカが仲裁する。
ということで条約が結ばれたのだと云います。

本書で得られた一番の気づきはこの点で、
つまり、江戸時代の末期の時点で既に、
日本はアメリカに国防を頼って居た。
という事でした。

この構図は今とまったく変わりありません。


本書は、歴史好きとして沢山の知見が
得られますが、読んで感じるのは、

江戸時代といえども、日本は世界情勢の中で動いており、
様々な軍事バランスや、貿易収支、外国人の流入
・・・
など現代と同じような問題が多々存在している点です。

政治を司る将軍や幕府幹部は、
大いに頭を悩ませていました。


中でも特に巧く海外と付き合うことができたのは、
家康、吉宗、慶喜らであり、

彼らの優れた点は、
現実的に海外(外国)を巧く活用する事を考え、
そして成功した点にあると感じます。

そうした徳川政権下の成果のおかげで日本は、
アジアで唯一ともいうべき、西洋から植民地化
される事を防ぎました。

この江戸時代の外交史からは、
現代日本人も大いに学ぶことが
あるのでは無いかと感じた今日の一冊です。




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