役所広司主演「蜩の記」は組織の責任を一人で引き受け死んで行く。侍の美学を感じる。そんな映画です。

wikipediaによりますと、
蜩(ひぐらし)は、秋を表す季語。

 朝夕に響く声は涼感や物悲しさを感じさせ、
 日本では古来より美しい声で鳴くセミとして
 文学などの題材にも使われてきた。

 テレビ番組などでも「夏の夕暮れ」を表す効果音として
 この鳴き声がよく用いられる。

とあります。

鳴き声が、
YouTubeにありましたのでご紹介します。

このセミの音は、
確かに、私たち日本人の琴線に触れる
なにかがあるように思います。


・・という訳で本日は、役所広司さん主演映画

 「蜩の記」

をご紹介します。

先日から、時代劇を観たい話しを
ブログに書いてきましたが、
ついに観てきました。

予告編を見て、
どうにも、期待が募ってしまったのです。

映画の公開から二回目の週末ですが、
渋い時代劇ですし観る人も多くないだろうと、
チケット販売機を操作すると、

なんと!私の通うシネコンの一番大きな
スクリーンです。
るろうに剣心」と同じ大きさではありませんか。(汗)

と、すこし驚いたのですが、
とはいえレイトショーです。席は空いていました。
(おかげで良い席で観られて、よかったです。)


映画が始まって最初に思った事は、
スクリーンが狭く画像がやや荒いことでした。
もしや、フィルム?※
・・と思いながら映画がゆっくり始まっていきます。

※今回ブログを書く前に、Wikiで調べてみると、
 やはりフィルム撮影のようでした。
 しかも、映画用フィルムの生産縮小に伴い、
 日本映画としては本作が最後のフィルム撮影
 になるのではないかと、説明がありました。

 昔ながらの、フィルムでの時代劇の撮影も、
 最後になるのです。


映画のストーリーは、
岡田准一さん演じる檀野庄三郎が、
仕事上のほんの些細ないざこざで、
同僚から因縁をつけられ、
城内で刀を抜き、相手の足を切って
しまったことから始まります。

赤穂浪士の物語を知っている、
私たち日本人にとっては、
いきなり、岡田准一さんが切腹か?

・・などとと、この後の展開が
少しハラハラするのですが、
切腹とはならず、代わりに、
家老からある密命をうけるのです。

その密命とは、
7年前に事件を起こし幽閉されている、
役所広司さん演じる戸田秋谷を監視し、
なにか怪しい点があれば、即刻切り捨てよ。
というものでした。

戸田秋谷は、
以前は藩の群奉行を努めており、
先代の殿様の信頼も厚かったのですが、
その殿様の側室と不義密通の罪により、
切腹を命じられ村に幽閉されていたのです。

しかし文武に優れた戸田秋谷は、
その才能により、藩の歴史(家譜)を
編纂するため、切腹まで10年の猶予を
与えられます。

そして、戸田秋谷を見張るよう命じられた
檀野庄三郎ですが、
彼の清廉潔白な人柄に触れるにつれ、
7年前の事件に疑いを持ちはじめるのです。

真相を明らかにして無実を晴らし、
切腹から救おうとします。

しかし、戸田秋谷は多くを語らず、
家譜編纂の仕事を成し遂げ、
娘の結婚と息子の元服を見届け、
潔く死んでいく。

そんな物語でした。

ここまでは、映画のホームページや
Wikiに出ている話ですが、
映画の設定が若干分かりにくいのですが、
私なりの想像で解説を書きます。

#この先若干ネタバレアリです。ご注意を。


小役人から家老に上り詰めた中根 兵右衛門は、
出世の過程において、高利貸し播磨屋とつるみ、
その財源を利用します。

しかし代わりに、その娘(?)を、福岡藩
武家の娘に仕立て先代の殿様に嫁がせました。

先代の殿様はその陰謀に気づき、
寵愛していた側室の子供を跡取りに
しようとするのですが、
事件が起き、側室の子は殺されてしまうのです。

お家の跡取り想像を察知した幕府の調査を欺くため、
先代の殿様は、信頼する戸田秋谷に罪を負ってくれ。
と頼み、お家(藩)は生き残ります。

そして先代の殿様は、
この事件を後の教訓として残すため、
全てを知る、戸田秋谷に、
藩の歴史書(家譜)としてまとめさせ、
自らは病で死んでしまいます。

家譜に自らの悪行が記されることを恐れた家老は、
なにかの理由を見つけ、戸田秋谷を殺し、
家譜編纂を止めさせるため、檀野庄三郎を
送り込んだのでした。


映画のセリフから、
江戸時代中期(1750年頃)、
地方の小藩の物語です。

映画のシーンは、わらぶき屋根の、
およそ現代とはかけ離れた光景が広がります。

今時こんなところがあるんだと思いながら、
映画の最後に流れるクレジットを確認すると、
岩手県遠野市のようでした。

映画に少し難点を言えば、
(時代劇ではありがちですが、)
登場する日本家屋の柱など、
ちょっと古すぎるように感じます。
当時も新築の家も普通にあったわけですし、

また、映画では3年という月日を追うため、
春は桜全開のシーンがあります。
その桜はソメイヨシノなのですが、
ソメイヨシノが開発されたのは、1720〜30年頃でして、
この時代に咲いていたかちょっと疑問でした。

といいつつ、これは些細な話しです。


さて日本には古くから「鏡」と呼ばれる
史書があります。
例えば「吾妻鏡」は、鎌倉幕府の成立を後の
幕府中枢(の実験を握った北条氏)が
編纂したしたものです。

すこし調べてみると、
鏡と鑑は同じ意味のようです。
「鑑みる」は
「過去の例や手本などに照らして考えるてみる」
ということです。

映画ではときおり、この「鏡(鑑)」という
言葉が使われます。

先代の殿様が、将来、藩が同じ過ちを繰り返し、
お取りつぶしの危機を避けるため、
藩の鏡の作成を、戸田秋谷に託したわけです。

実際どのような内容が書かれるか、
映画の見所の一つです。


「鏡(=歴史書)に綺麗な自分が映し出されるように」

と戸田秋谷が息子に諭すセリフが最も
心に残りましたが、
日本には良い言葉があるものだ。と思いました。

お天道様に恥じないように生きる。
と同じような意味ですが、
誰が観ていなくても、義を重んじ清廉潔白に生きる姿が
この映画の本質だと思います。


結局戸田秋谷は多くを語らず、
一人で無実の罪を負い死んで行きます。

現代でも何かしら組織で大問題が生じると、
誰か一人が詰め腹を切らされます。
(自殺してしまう人も後を絶ちません。)
平成の現代でも江戸時代と同じノリが、
日本にはあります。

その事の善し悪しはさておき、
そこには、日本人のDNAを
感じられずにはいられません。

映画の最後には、
戸田秋谷が朝水浴びをするシーンがあります。
この日、切腹をすることが分かります。

その後、白い小袖を着て、予告編にもある、
「良い夫婦であった」。。
という会話があります。

そして、水色(萌葱色)の裃を来て、
切腹用の短刀を持ち、
家族に挨拶をして、家を出て行きます。

戸田秋谷は、
限られた命を自ら「蜩」と言いながら、
一日を大切にし、精一杯生きた訳ですが、

ココで思わず涙が思わず出てします。

映画館では年配の方が多かったのですが、
私も隣で観ている老夫婦も
私と同じように感じているに違いない。
と思った今日の一本でした。


http://higurashinoki.jp/about/index.html


今日のアクセス:275,566