黒澤明監督「生きる」を観ました。真剣に仕事をして世の中の役に立つ。これが生きることなのだと感じました。

今週(とはいっても今日は10月9日ですが)、
ピロリ菌を撃退する薬を飲んでいます。
薬をもらう際にに、

 この薬を飲むとお腹がゆるくなることがあります。
 それでも頑張って飲み続けてください。

・・とお医者さんに言われました。

仕事柄、外出も多い物で、
なかなか飲む気分になれませんでしたが、
そろそろ次の通院も近づきました。
飲まないと、お医者さんに行きづらいのですね。

最悪連休は自宅にいればいいか。
と思い今週飲むことにしました。

すると薬を飲んでからは、
確かに腸の具合がおかしく、
トイレの回数も少し多いです。
しかし、これもあと2〜3日の辛抱です。

さて、
私が退治しているピロリ菌は胃がん
原因ともいわれています。
数年前に父が胃がんになり、
胃の大部分を摘出しました。
そのあと、
父の兄である叔父が胃がんで他界しました。

そんな事があり、
人間ドックの際に検査したところ、
確かに私もピロリ菌ホルダーだったという次第です。

・・即ち、このまま歳を取ると、
私もかなりの確率で胃がんになってしまうわけで、
これはいけないと、薬を飲んでいるのです。


・・・というわけで本日は、黒澤明監督 志村喬主演映画

 「生きる」

をご紹介します。

映画「生きる」を知ったのは、
購読しているネットのメルマガで紹介されたからです。

胃がんになり、自分の余命が幾ばくもないことを知った
主人公志村喬さん演じる渡部は、
最後に小さな公園を作り、
雪の日の夜に、
満足な表情を浮かべブランコに座ったまま死んでしまいます。

誰もが必ず訪れる”死”に対して
残された人生をどのように生きるのか。
結局主人公は、役場の課長という自分の現在の
立場を最大限に活用し、仕事に没頭することで、
公演を残したのです。

以前、「何のために働くのか」という
北尾 吉孝さんの本を読み、


カラオケやゴルフが上手くなっても世の中の役に立たない。
人間仕事を通じてしか、世の中に貢献することができない。
と書かれていたことを思い出します。

どんなに趣味や遊びに興じても、
何も残らないと言うことなのです。

しかし町に公園を作るのは、
公園課が企画設計をし、
土木課が工事をします。

主人公の担当は市民課なので、
公園を作りたいという要望書を
公園課に回すだけの仕事です。

自分がガンで余命短い事を知った主人公は、
役所という縦割り社会の中でも、
情熱だけで垣根を越え、

どんなにむげにされても、
怒っているヒマはないと言いながら、
公園作りのために奔走します。

利権が絡むヤクザに脅されても
ひるむことはありません。
逆にヤクザが煙を巻いていきます。

映画を通じで黒沢監督が伝えたかった事は、
誰もが”死”に直面すれば残された人生を真剣に
生きようとするのに、
しかし、
誰もが必ず訪れる”死”に対して、
必ずしも真剣に生きている訳では無い。
という相反する心理です。

主人公は自分の命が短いことを知って、
初めて「生きる」ことが出来た訳です。


本作が作られたのは、昭和27年です。

戦争が終わって7年ですので、
映像的にも復興中のイメージが漂っています。
全体的に活気づいた印象はうけるのですが、
豊かな人達と、貧しい人達が二分されている
様子もうかがえます。

主人公は役所の課長です。
結婚した息子夫婦と、
お手伝いさんとともに暮らしています。

主人公の志村喬さんは、
てっきり退職前の50歳代かと思いましたが、
調べてみると当時47歳前後のようです。
なんと今の私と同い年です。

しゃべり方が、もごもごしており、
こんな人が課長。?とも思ったりします。
映画を観たとき、これが地なのか、演技なのか
わからなかったのですが、
今日たまたま主演映画の「七人の侍」を見たところ、
普通にしゃべっていましたので、
演技ということを知って、驚きました。

30年勤続の表彰がありますので、
とつとつと、真面目に仕事をしてきた
地味な人を技とあのような口調で演技しているのです。
演技とは言え、大変な事です。

そんな志村喬さんは黒沢映画には切っては切れない
俳優さんらしく、調べてみたら最後は「影武者(1980年)」
でした。

そしてもうひとつ感慨深いのは、
「生きる」が後悔されたときに黒沢監督の年齢です。
42歳なのです。
40歳位の時に企画した作品だったという事です。
死という深いテーマを作る年齢としては若いです。


そんな当時は、
ガンに対する知見は今ほどなく、
私の記憶でも、昔はがんと言えば死病そのものでした。
またガンの告知をすべきかどうか、議論していたのは
つい最近の事のように思います。

医学が進み、だんだんとガンも治ったり、
延命治療が進んできたりするようになったので、
いまでは殆ど告知されており、
私の父が手術するまえは、
私もネットで手術のやりかたなど調べることが
できました。

しかし当時は死病であり、
仮に自分が知ったとしても周りに伝える
ことも憚られ、一人息子にも打ち明けることが出来ません。
そして男で一人で育て、可愛かった一人息子は
今は退職金の事を話題にするばかりです。
(ので、志村喬さんの設定年齢は50前半と思います)


主人公は最後の人生の過ごし方を悩みます。
(この映画があるから定番ストーリーになって
しまったのかもしれませんが、)
職場を休み
酒を飲み明かし、女遊びをしても気分は晴れません。

しまいには、自分の課に勤めていた、
若い女性を誘い出すのです。

今だったらストーカというか、
絶対にあり得ない流れと思います。

しかし主人公は、
自分がガンで余命いくばくも無いことを告白するのです。

観ていた私は、このとき女性の立場になって
なってしまい、小田切みきさん演じる、
女性と同じように困ってしまいました。

しかし何か物を作れば。
といい、彼女が役場を辞めてから工場で
作って居る幼児向けのうさぎのぬいぐるみを見せるのです。

翌日、2週間ぶりに出勤し、
公園を作って欲しい。という一枚の書類をみて、
書類を公園課に回さず、自分たちでやろう。
と率先して現地視察に行くのでした。

そして、この映画の大胆なところは、
いき成り主人公の位牌が映し出され、
お通夜のシーンに切り替わる展開です。

自分の部下や公園課など役所のメンバが集い
主人公が何故変わってしまったかを語り合います。

役所には担当があって、幾ら仕事熱心でも
困るんだよ。という助役。
公園が出来たのは、助役のおかげだ。
とお世辞をいう土木課長(確か)、

それに対して、若い市民課の職員が異を唱えます。
場が悪くなり、助役等は帰り、
さらに、主人公は胃がんであることを知って
いたかどうかへ、話しが進んで行きます。

「怒っているヒマは無いんだよ」

というセリフを思い出した部下は、
主人公に死が間近であることを知っていた
事に気付くのでした。

そしてコレまでの毎日のルーチンワーク
覇気もないお役所仕事の批判へとかわります。

残された息子は、
退職金の手配などの書類が準備されていたことを知り、
誰にも知られず亡くなったことを噛みしめます。


そして最後のシーンは、
今までの同じようなルーチンワークが続く
職場の帰り道、(たしか)千秋実さん演じる
若手課員が、主人公の作った公園をみて
ため息をつく。

そんなエンディングです。
主人公の残した仕事が、
町にあるごく普通の小さな公園。
というあたりが良いと思います。
大きな仕事じゃない訳です。

当時40歳位の黒沢監督が言いたかった事は、
ココなんですね。

大きな仕事じゃなくていい。
でも真剣に仕事をして、住民は喜んでいるのです。
生きた証を残したわけです。
さきほどご紹介した本と同じ話なのです。

(戦争が終わって、)
生きることを真剣に考えている人がいないんじゃないか。
もっと真剣に生きて仕事して、
何かを残そうよ。
人達の役に立とうよ。

そんなことを言いたかったのだと思いました。

映画を観て思うのは、
セリフの高尚さと、未だに変わらぬ普遍的なテーマ性です。
だからこの映画が黒沢映画の中でも名作として
伝えられていくんだと感じました。

映画の中で女子職員のストッキングに穴が空いていて、
主人公が買ってあげたところ、
昼飯何日分。といって喜ぶシーンがあります。

しかし一方では、高級レストランで、
誕生会を開く若い学生達がいます。

今時仕事をしていて、
ストッキングが買えない人は居ないと思うのですが、
当時は、見た目で相当な貧富の差があったことがわかります。
こんな時代に比べれば、日本は豊になり、生活品の物価も下がり、
住みやすい国に成ったのだと思います。

本編とは関係ない、そんな小さな演出も、
本作が長い間名作といされる所以ではないかと
感じた今日の一本です。



今日のアクセス:536,330(2016/10/09)